日本硬質陶器のあゆみ

編集者   重利俊一
発行所   日本硬質陶器株式会社
発行年月日 昭和40年10月20日
印刷所   株式会社吉田次作商店

日本硬質陶器58年の歩み

[第5編] 戦時下の硬質陶器

昭和16年12月戦争発端から終戦までの記録

昭和17年(1942)

 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃を機に、対米英宣戦布告となり、会社もいよいよ戦時体勢に入った。もともと非軍需産業の当社であるが、太平洋戦争で折角基盤に乗った輸出は一頓座し、反面日に月に時局色の帯びる会社は昭和19年になると昔からの呼び名の日本硬質陶器は日硬産業と名称を変更した。そして金沢は立地上、大都会の工場から食指を動かされ、何かと工場転用の交渉が出てくる、そんな事態を背景として以下戦時下における当社の記録を掲げよう。

第43回総会  昭和17年1月期は売上67百万円、純益195百円、配当6分8毛を据置き、取締役1名改選の件は香椎宗太郎氏当選、監査役1名は大鳥井信光氏退任に伴い、水野次郎氏新任した。また戦時生産関係から定款一部を変更し第3条に耐火煉瓦製造販売の一項を加えることにした。

石炭販売統制会社設立 3月29日石川県内における石炭販売を一本化する石川県石炭販売統制会社が設立され、同社常務取締役業務部長に就任せる予て取引先の三谷進三氏来社挨拶

鍋谷原石価格協定 4月14日鍋谷原石10貫匁につき、当工場持込値段を77銭と協定、また15日鶴ノ山特選原石同じく17銭で買入れることになった。

17年半期賞与 6月29日昭和17年上半期労務者155名に対し賞与金3,261円を支給取締役副社長辞任 7月12日香椎社長より副社長香椎宗太郎氏辞任の旨発表

石炭配給不円滑協議会 8月14日仙宝閣で開催、宮本参事及び荒木主事補より交々不円滑を訴えた。

穴水町住宅買収 8月18日市内穴水町2階建住宅41坪1万円で買収

小黒元専務死去 元専務取締役小黒安雄氏9月13日東京で死去せらる。享年71才

第44回総会(赤字決算に変る)  当17年7月期の決算総会は9月23日本社で開かれたが、これまでの決算黒字から56千円の欠損に転じた。売り上げ695千円、しかし金沢だけでは24万円の売り上げで16千円の純益となる。

◇年末慰労金賞与 12月26日社員、準社員に賞与金を支給したが、工員141名に対し3,339円を支給した。

昭和18年(1943)

新年初頭の大降雪
元旦から降り始めた雪は5、6、7日と3日間で本格的の大雪となり、積雪4尺、工場、屋根等の除雪に努めたが一部折損を生じた。

第45回総会
 18年1月決算は売り上げで106万という記録数字となったが、遂に336百円の損失となった。

◇戦時下の大相撲観覧 戦時下物資不足に甘んじながら生産にはげむ全従業員の第31回慰安会は4月21日市設運動場で、大日本大相撲興業を観覧することになったが、当日の模様を日誌は次の如く記している。

 ――4月21日(休業)第31回従業員奨励慰安会を兼ね、金沢市公設運動場に於て開催の大日本大相撲を観覧す、折柄の快晴に恵まれ、一般観衆は朝未だ明け初めぬ頃より、潮の如く土俵の周囲を埋め尽したるも、吾社の指定席には当社招待客と従業員のみにて和気あいあいの裡に観覧出来た、午前10時頃より取組に入り、一勝負毎に観衆熱狂したが、運動場を取巻く土堤の大礼記念桜樹は成長し満開の好季にして国技とお花見を兼ね、平素の屋内生活より春風の清きを満喫しながらの幕内、四横綱の各本部代表力士の土俵入はまことに一幅の絵巻を繰り拡げ盛会の裡に午後4時半全取組を終り、各自帰途につけり、斯くて有意義なる慰安会を終る。

釜山工場原料部出火 5月22日出火同建物全焼

大政翼賛広告 北国毎日新聞に連日翼賛の窓欄なる各会社の翼賛広告が出ている。8月8日付で費用当社負担の次の広告がある。

-----------------------------------------
翼賛の窓

みんな競って実践だ

一、夏季鍛錬
イ、国民一億みんな泳げるようになろう
ロ、増産と勤労奉仕で心身を鍛えよう
ハ、ラジオ体操も永く平素の習慣にしよう

大政翼賛会県支部
-----------------------------------------

投下爆弾試作で来県 8月16日伊丹市の斎藤織之助氏軍用投下爆弾試作の件で田中工場長と協議

徴用令発令の荒木主事ら 9月29日国民徴用令発令のため社員技手高畠武人主事補荒木竹次郎氏ら舞鶴工厰へ向う

18年下期賞与 12月29日従業員109名に対し2,825円の下半期賞与支給

昭和19年(1944)

慌ただしい戦局の中に
     金沢工場の転用交渉

日硬産業に名称変更
 そうこうするうちに、戦局は困難な様相を呈し、大都市の各工場は爆撃にさらされ、疎開問題も出てくる。一方平和産業も軍需生産化して、金沢などは格好の地として工場の転用交渉が目立ってくる。

◇東洋紡の来訪 すでにこの年(19年)3月になると、東洋紡取締役兼資材部長の鷲野甚之助氏が、福井の三谷弥平氏案内で工場を視察し当時者を打診している。また本社は4月16日臨時総会を開いて名称を日硬産業に変更、多年口慣れた日本硬質陶器の看板は降された。
 
◇板硝子社来訪 3月31日日本板硝子鰍フ大野正巳氏来社に続いて同社々長中村文雄氏が、東京工業大学教授山田俊吉氏とともに来社、田中工場長と工場転用につき協議をした。

◇金沢被服製作所 その頃当社は市内宗叔町2番丁所在の男子労務者寄宿舎建物を金沢被服製作所の申出を容れこれを月280円で4月より貸与することになった。

◇イソライト会社来訪 4月4日イソライト工業取締役財満久芳氏(現社長)が来訪し先の板硝子の件で協議した。

◇電気冶金来社 5月20日金沢の日本電気冶金から電気炉賃借に関し交渉を受けた。

◇三井化学来訪 5月24日三井化学工場(愛知)来社、翌25日は金沢航空工業社長園酉四郎氏から変圧器借用のことで交渉を受く。

◇中島飛行機KK 5月30日名古屋の浅井産業代表社員浅井竹五郎氏より、中島飛行機工場用食器製作方の大量申込があった。こうした情勢において、会社では金沢工場の基本方針について、上山常務、田中工場長、宮本、北川参事ら出席し、種々協議した。なお当時の金沢工場従業員数は77名に、19年度上半の賞与金2,494円を支給した。応召や徴用等で14年末の220名に比し三分の一に減じている。

東芝と交渉始まる
 7月27日、こうして、いろいろと転用或いは設備利用等に関し交渉が行なわれたが、7月29日には東京芝浦電気川崎支社工務部長宮尾直三氏ほか2氏石川県軍需課員の案内で来社し、事情を聞いて帰京した。

電気冶金 7月31日日本電気冶金総務部長岩田虎太郎氏来社、電気炉5台借用申込を受けた。

中島協力工場の件
 9月21日、北川参事中島飛行機武蔵製作所協力工場の件で打合せのため東京都へ出張

小松製作所から食器督促
 9月30日、小松製作所業務部購買課員来社し、注文中の食器で督促、また高岡町国民学校から学徒給食用食器製作を依頼し来ったが機構関係から直受不可能なことを説明諒承を求めた。

東芝が適不適視察調査
 9月30日、東京芝浦電気化学製造所次長兼技術部長吉本晴一氏同社伊藤金沢事務所長の案内で同社必要軍用品製作に当工場の適不適視察のため来社

中島飛行機が電気炉調査 9月28日、中島飛行機金沢出張所主任技術者と共に来訪電気炉を調査

東芝正式に申込
 東芝化学製造所次長兼技術部長吉本晴一氏は、10月25日来社工場借受けの申込をした。

東芝と協議  東芝調査部長阿部龍五郎氏は工場転用の件に付来社、田中工場長らと協議した。

◇電気冶金に電気炉引渡し 11月17日電気炉5基を貸与した。

工場転用で協議
 12月4、5両日に亘り古城常務出社工場転用申込の件で検討した。引続き7日東芝側も来社し賃貸関係で協議した。

尾西方面大地震 7日午後1時半尾西に地震発生工場内の皿類若干破損した。なおこの日古城常務は東芝と工場賃貸関係で協議を続けた。

引続き東芝と協議9日成立す
 12月8日東芝調査部長阿部龍五郎氏来社、2時間に亘り古城常務、田中工場長、宮本課長らと協議した。翌9日工場賃貸の件について協定成立覚え書を交換した。

 以上19年中における工場転用或いはこれらと関連せる事項を纏めて取り上げたものである。

第47回総会
 19年3月30日、本社で開催。原案通り各議案を承認した。当期は79万円の売上げとなったが損失24千円を計上した。なお金沢支社分売上げは214千円、2千円の利益である。監査役水野次郎氏再選している。

日硬産業と名称変更

臨時総会で商号変更
 4月16日本社で開催
 1.日本硬質陶器株式会社を日硬産業株式会社と商号を変更した。
 2.監査役井谷儀三郎辞任し、取締役1名増員に伴い取締役に就任した。

◇第32回従業員慰安会 降雨中を小立野発の臨時バスで湯湧あたらしやに至り休憩中を近所の山で食糧獲得に登るものなど如何にも戦局逼迫下の慰安会の感じである。配給酒で盃を交し日頃の逼迫感をほぐした。

◇上半期賞与 6月29日金沢支社工員77名に対し、上半期2,494円を支給した。

◇サイパン島守備隊全域 戦局いよいよ悪化し7月18日全員戦死の大本営発表があった。

◇8月20日、8月21日 北九州に米機60機来襲

第48回総会
 19年7月期決算総会は、9月30日釜山で開催、11万6千円の純益をあげたが、このうち68千円が釜山土地評価増利益金を計上したためである。しかし18万2千円の繰越損失金があるので、差引68千円の損失金を後期へ繰越した。また取締役改選の件で5名任満改選の結果何れも再選重任した。

臨時株主総会
 10月16日開催。取締役1名増員の件は山下真一氏当選就任した。

◇年末賞与 12月26日社員、準社員等に対し総計72名に対し3,102円の賞与、29日には57名の工員に対し3,231円を支給す。

昭和20年(1945)

◇東芝が工場模様替 1月10日、11日東芝技術関係者来社。場内模様替に関する状態設計、翌12日東芝副社長来社、工場賃貸借につき今後の方針を決定した。

◇松割木自家生産 2月5日宮本課長ら石川県燃料配給組合を訪問、割木自家生産の件で協議した。

◇硫黄島米軍上陸 2月20日、工場電捨作業を継続中、硫黄島へ米軍上陸開始の旨発表せらる。

◇香椎代表就任20周年記念(3月26日)

ポツダム宣言受諾 昭和20年8月15日日本無条件降伏

第49回総会
  20年1月期決算の第49回総会は3月30日本社で開かれた、当期売上971万5千円、利益536百円

第50回総会
 20年7月期総会は9月30日本社で開催、業績は資料に欠け不明だが金沢は143万8千円の売上、336百円の利益となっている。また引続き臨時総会で社長山下真一郎氏退任し、大野道雄氏副社長に就任する。

戦局最後的様相呈す(以下会社日誌から)

松風陶器工場戦災
 6月21日、名古屋市の得意先浅井産業合名、松風陶器会社は6月21日戦災のため焼失した。沖縄本島に米軍侵攻局面はいよいよ深刻化す。

◇敦賀市戦災 7月12日、敦賀空襲大部分戦災にあう。

◇福井市戦災 7月19日、福井空襲

◇富山市戦災 8月1日、富山市空襲

◇一部疎開で鶴来町谷田クレー工場賃借 8月2日、鶴来町谷田クレー工場を1ヶ月500円にて賃借した。

◇ソ連対日宣戦布告 8月9日、ソ連遂に対日宣戦布告 この日谷田工場へ疎開機械類を送る

三谷進三氏応召 8月10日、三谷産業常務三谷進三氏応召

終戦と会社善後処置
  8月〜12月までの日誌から―――

ポツダム宣言受諾
 8月15日、連合国に対し無条件降服の大詔渙発さる。会社日誌は「3千年来未だかって敗れたる事なき大日本帝国も完全なる敗戦国となり彼らのポツダム宣言を忠実に実行の止むなきに至り、工場休業17日と繰替」と記されてある。

◇勤労挺身隊解除 8月26日、この日勤労挺身隊残員5名を解除した。

◇退蔵物資調査 9月12日、退蔵物資種類調査のため石川県経済係各課刑事部長ら来社した。
 9月14日、本社大村技師東芝本社と賃貸工場区画につき上京、一方金沢税務署より工場操業状況につき視察した。

第50回総会
 山下社長辞任、大野道雄氏副社長に就任 9月30日、釜山本社に於て第50回定時総会終了後、臨時総会を開会、社長山下真一郎氏辞任、大野道雄氏副社長に就任する。(なお金沢支社分は売上143千円、純益365百円)

◇産報支部解散 戦時下各産業界を戦時目的に結集した産業報告会の解散に伴い、当社地域玉川支部を解散役員会を開催
 
階上一部墜落
 10月18日締焼部六角形85尺煉瓦烟突地盤緩み傾斜したるを発見したので、これを取り壊すことになり、また21日工場建物階上一部重量のため墜落した。

◇早くも輸出物で打ち合せ 10月21日、市内東洋ゴム長谷川社長ら来社、米国向け美術陶器大量生産打合せを行なった。

東芝金沢工場閉鎖
 10月23日、東京芝浦化学部次長吉本晴一氏来社、金沢工場閉鎖の件で交渉した。なお10月末契約解除9、10月分賃貸料を受領した。

◇林屋金沢商工経済会々頭 10月27日、石川商工経済会々頭林屋亀次郎氏横井取締役の案内で終戦後の工場経営方針等問合せのため来社した。

◇大和百貨店井村社長と会談 10月29日、園酉四郎氏の希望により、大和百貨店で同社々長井村徳二氏と会見のため田中工場長ら出席した。
 11月5日、大野副社長就任あいさつを兼ね来社

金沢工場組織変更協議
 11月26日、大野副社長、宮本、田中、宮本氏ら金沢工場組織変更協議のため午後横井伊佐美氏宅を訪問

日硬産業漸定解散
 11月30日、日硬産業株式会社は漸定解散をしたので金沢支社職員20名に対し、退職手当金38,968円を給与した。
 12月8日、大野副社長ら会社組織の件で協議する。
 社内稲荷神社祭典 社内鎮座稲荷社祭典に従業員にミカン2ヶ宛配る。

金沢一般労組結成準備に呼びかけ
 12月25日、金沢一般労働組合情報部長野村康雄氏常備委員会の件で来社、26日準備会を香林堂で開催につき工場より2名参加した。(以上で会社日誌は終っている)

[第5編]了


Copyright(c) NIKKO HANBAI Co.,LTD.ALL Rights Reserved.