日本硬質陶器のあゆみ

編集者   重利俊一
発行所   日本硬質陶器株式会社
発行年月日 昭和40年10月20日
印刷所   株式会社吉田次作商店

日本硬質陶器58年の歩み

[第2編] 日本硬質陶器創立から宮野社長ら退任まで

明治41年(1908)

日本硬質陶器5月に設立
 日本硬質陶器株式会社は明治41年5月11日、正確にいえば、同日午後1時東京京橋南鍋町1丁目の交詢社で開かれた創立総会で生ぶ声をあげた。当日の出席株主は委任状とも130人、この株数12901株、議長に井村敏夫氏発起人会長として、座長となり

 1.創立費の使途
 2.重役員数(取締役7名、監査役3名)及び報酬
 3.林屋組買収仮契約承認の件

を議決し、会長指名による左の諸氏創立最初の役員となった(カッコ内は居住地)

 取締役   宮野直道(金沢)
  〃    原 知信(東京)
  〃    荻原芳明(〃)
  〃    大森孝次郎(金沢)
  〃    清水兼行(〃)
  〃    広瀬鎮之(〃)
  〃    林屋次三郎(〃)
 監査役   松原ラ三郎(東京)
  〃    岩崎 一(〃)
  〃    大脇康直(〃)

宮野直道氏社長に就任
 なお社長は、5月18日役員会互選で宮野直道氏に、専務取締役には原知信氏がそれぞれ就任した。初め設立発起人会では、資本金を150万円としたが、後に80万円に改め、第1回払込として、20万円の払込み完了、創立総会を終った。また決算期も当初案は5月、11月の年2回であったのを6月、12月に改めている。会社操業は、林屋組との買収契約に基き、該財産及び業務の引継を5月15日とし、予定通り始められた。

 なお、林屋組から引きついだ、工場及び事務所敷地(1822坪)同建物(814坪)土蔵瓦葺2階建(18坪)は、勧銀に対する抵当権設定のまま、同じく5月19日金沢区裁判所で譲渡登記せられ、能美郡国府村の原石山も、小松区裁判所山上出張所で権利移転の登記を終えた。本社所在地として登記せられた長町河岸52番地という番地は、現在当社ならびに三谷産業、大和など、共同出資の金沢ボーリングセンターのある一角で元同社販売所の置かれたところである。用水側には倉庫精練工場があり、道路の向い側には風呂屋さんが今でもある、本社が昭和38年6月松任工場に変更されるまで、本社所在地として登録されていただけに忘れ難い番地である(なお元正門のあるところは穴水町3番丁で、隣りに日本専売公社がある)そういえば、林屋組から引き継いだ電話704番もその一つで、大正年間までは、この一本で通していた。下って昭和となり石原第4代社長が未だ金沢支店長の頃電話は一本加えられ、戦後は3本になった。なお小黒安雄氏の専務時代同氏宅へ電話829番が取付けられ、後この電話は故村松支配人宅へ移されたという。

技師長に友田安清氏
林屋組から引き継ぎをうけた従業員数は、事務員8名、技師3名、工員86名、それに給仕2名、小使1名という世帯で技師長には友田安清氏が推され就任することになった。

会社設立までの経過
 こうして日本硬質陶器は明治41年創立されたが、一応設立経過を記してみる。会社の前身合名会社林屋組が新会社へバトンを渡した事由は既に述べた通りで、いうなれば、事業発展を目指して行くには、外部よりも資本を求め、強力なものにせねばならぬというのである。林屋組には当時金沢における政財界の有力者宮野直道氏も加わり、林屋氏とともに社員になっている。県警察部の出身で、その後県市政に進出、明治34年1月から41年6月まで金沢市会議長の要職にあり、更に財界にも顔を出し、金沢商業会議所特別議員に推薦され、当時要望された金沢街鉄(北鉄の前身)の設立発起人に名を連ねその実現に一役買っている。

 さて会社設立最初の発起人会は、明治40年4月開催され、その際林屋組から林屋、宮野の二氏加わり、定款等を作成した。創立に当り金沢商業会議所書記局が、事務的に何かと面倒を見てくれたというが、その定款は会社に今も原本が保存されている。罫紙に書いたもので、以下の発起人がそれぞれ署名捺印している。

 発起人指名
  林屋次三郎(金沢)  宮野直道(金沢)    石橋昌栄(横浜)
  原 知信(東京)   波多野次三郎(横浜)  笹本豊次郎(横浜)
  倉田政吉(横浜)   萩原芳明(東京)    佐々木文一(横浜)
  林 武平(横浜)   越賀幸次郎(東京)   斉藤 炳(横浜)

 以上13名の発起人顔触をみると林屋、宮野両氏を除き全部横浜と東京で占められている。横浜という港中心で輸出を進めるためと解される。それから発起人中に東京の萩原芳明という人物がある。明治、大正年間にわたり、石川県出身の三井大番頭で後に満州鉄道総裁となった早川千吉郎氏の系統といわれ、東京、金沢間を始終往復し、金沢で財界の世話人的立場にあった当時金沢財界話題の人である。

定款の主な内容
 ここで会社設立の定款の主要部分を掲げよう。資本金は80万円、第1回払込は1株につき12円50銭としたので払込総額は20万円となっている。

設立当初の定款から

  1.本会社は硬質陶器の製造販売を以て目的とす(第1章総則第1条)
  2.本会社は日本硬質陶器株式会社と称す(同第2条)
  3.本会社は本店を石川県金沢市に置き、支店を東京市に置く(第3条)
  4.本会社の資本額は金150万円とす。
  5.本会社の株式は3万株とし、1株の金額を50円とす(同第2章6条)
  6.本会社株金の払込は第1回払込金は1株につき金12円50銭とし、第2回以後は取締役会の決議を以って其期日ならびに金額を定め2カ月前に各株主に通知するものとする(同第9条)
  7.本会社の重役は取締役7名以内、監査役3名以内とす(同第3章第12条)
  8.本会社取締役の任期を3カ年とし監査役の任期を1カ年とす(同第3章第14条)
  9.本会社取締役は在任中本会社の株券100株を監査役に供託するものとす
 10.本会社の定時総会を毎年6月、12月の両度に開く(同第4章第18条)
 11.本会社は毎年5月31日及び11月30日を以って諸勘定を決算す(同第5章第21条)
 12.(附則)本会社の負担すべき設立費用は金5000円以内とす

林屋組との買収契約
 発起人会の会社設立決議により、会社は営業ならびに生産主体である合名会社林屋組から一切の権利を継承することになり、明治41年4月6日会社発起人側と林屋組との間に次のような契約書を締結した。新会社側の代表は発起人総代兼創立委員長となった男爵本多政以氏である。氏は第1回の別記設立発起人会には名を連ねていなかったが、やはり発起人に引き出さねばならぬ人として創立委員長に推したのであろう。

 一方発起人には譲渡者側から代表林屋次三郎と個人林屋次三郎の二人名義及び宮野氏が加わっている。この契約書原本は、今も残存しているが、20余枚の罫紙よりなり「林屋組外2名買収契約書」と表紙に大書され、全文丁寧に毛筆で書かれてある。内容は「日本硬質陶器会社設立の上は同会社において、合名会社林屋組の器具機械及び営業一切ならびに宮野直道所有の土地建物、林屋次三郎所有の土地を買収し、硬質陶器の製造及販売をなさんとするにつき、日本硬質陶器株式会社発起人と合名会社林屋組宮野直道及び林屋次三郎との間に契約を結び、新設会社の設立登記完了したる日に林屋組は解散の上、一切の権利を新会社に譲渡する」というのであって別記がその全文である。

 買収金額は計13万円、但し宮野、林屋両氏の得分については新会社は関知しないとあり、また明治40年8月井村徳三郎氏と林屋組の間にきめられた井村氏の一手販売権が新会社に回収されるという一項があるなど興味あるものである。因みに宮市の井村徳三郎氏は林屋組設立当時の出資者でもあったのだ。ところで契約書にある目録にある各機械設備を、今最新鋭を誇る松任工場のそれと比較対照するのは隔世の感というよりはむしろ感懐めいたものを感ずる。動力に大水車を使うというのも、大時代めいたものであるが、その頃では精鋭武器である。それだけにこの契約書も一種の文献として貴重な資料といえる。(契約書内容は別項48頁参照)

設立当初の株主
 さて会社は同年5月15日より予定通り操業されたが、ここで第1期の株主欄に目を通すといかにも当時の時代相をうかがわれる人物が名を揃えている。

 明治41年11月30日現在株主名簿から主なのを掲げると次の通り

  株数       住所       氏名

  2000     東京       侯爵 前田利為
    〃      林屋組清算人   林屋次三郎
  1183     金沢       林屋次三郎
  1000     東京       早川千吉郎
   300     〃        村井吉兵衛
    〃      〃        浅野総一郎
    〃      〃        男爵 横山隆俊
    〃      〃        横山 隆
    〃      〃        林屋新兵衛
   278     金沢       加州銀行頭取 横山隆俊
   200     東京       男爵 前田利功
    〃      〃        横山一平
    〃      金沢       本多政以
    〃      〃        井村徳三郎
    〃      〃        能沢長太郎
    〃      〃        宮野正道
   150     〃        佐賀野幸一郎

  以下100〜120株(金沢)

   大森孝次郎、広瀬鎮之、原知信、中宮茂平、中島徳太郎、清水兼之、小鍛治市左衛門、米谷半平(安宅)、長野与平(同)
  これより東京株主
   伯爵 前田利同、岩崎一、岩原謙三、林堅徳、羽野知顕、林太一郎、萩原芳明、大脇康直、中田敬義、中村静嘉、南郷茂光、南部辰丙、小池靖一、宮崎一郎、片岡ソト(大阪)、中橋徳五郎、(高岡)菅野伝右衛門、堀野与右衛門

  80株以下で

 村彦兵衛、細川善六、友田安清、吉村又男、田守太兵衛、中屋彦十郎、植田忠平、野村喜一郎、野村吉六、平沢嘉太郎、西村正則(代議士)飾谷与右衛門、久保田全、島林覚太郎(東京)倉知鉄吉、新田義繁

  株数合計 16000株 株主総数 194名

 それから創成者の吉村、友田氏ら当時活躍せる人らは50株ずつ持ち会社設立の一役を買っている。

創立45日間の成績
 さて営業成績である、第1期営業期間5月15日より6月30日に至る45日間における製造の種類は洋食器類、軍隊用食器、船舶用食器等で計5489円、販売高は6530円50銭、販売特約店は大阪7、神戸1、姫路1、岡山1、小倉1、広島1、熊本1というように商都、軍都を中心にしている。この期間、工場の機械増設模様替のため、予定通りの生産が出来なかったようだが、注文の方は普通品、軍隊用品ともに活発であり、特に陸軍の需要は全国に跨がり、益々需要増の傾向を示し輸出関係もまた台湾、清、韓、新嘉坡濠州、北米へ見本注文を受けている。一方拡張工事の方は8月に落成、9月上旬に機械据付を了し仕上窯及び素焼窯構築は10月完了の予定、計上利益は338円78銭8厘これを次期に繰越している。なおこれらの拡張新設費用運転資金に充つるため、会社は明治商業銀行より向う1カ年期限で1万円を借入れ加州銀行から8千円程度の当座借越契約を行なった。

 2. 41年上半期収支計算書(単位円)
 (収入)         6531円(製品売上高)
               607円(預け金利子)
                53円(雑収入)
          合計  7190円
 (支出)         3297円(製品原価)
               748円(重役報酬金)
               762円(給料)
                56円(機械器具修繕費)
               170円(保険料)
                78円(諸税金)
              1739円(諸経費)
          差引   338円(純益金)
          合計  7190円
               340円(後期繰越金)
 (注)来年度持越注文品(25434円)
    取引約定高   (48000円)

明治42年(1909)

第2期欠損
 (41.7〜12)期中注文ふくそうのため、これが消化に大いに努力したが、拡張工事は特に新窯工事が遅れて注文品及び取引約定品の大部分は来年度に繰越され、生産個数は199800個と当初目論む予定高の3分の1にも達しない。結局林屋組以上の製造力を増進することが出来ないため2200円の損失を計上した。

 第2期収支決算
 (収入)             17689円(売上高)
                   3206円(工場勘定)
                    404円(雑収入)
           計      21300円
 (支出)              7668円(営業費)
                  15846円(製造費)
           計      23514円
           差引      2214円(損失)
           前記繰越     338円
           後期繰越損金  1875円

瓦斯発動機25馬力購入
 42年10月の重役会で原動力の不足を補うため「サクソン」瓦斯発動機25馬力、この価格約3千円1基、また原料精製用「マグネット」装置に必要なので発電機「5キロワット」この価格据付費とも750円で1基、転写用石版画製造のため石版印刷機(100円)1基を各購入決議した。その理由として重役会はおよそ次の点を取り上げた。現在からみるとこの文も硬質陶器史にとり文献的だ。

 吸入瓦斯機関及び電灯設備の利益

 本社工場に使用する諸機械を適当に運転せんには、現今の動力即ち水車及びモーターを以って供給するのみでは不可にして尚15馬力の動力を供給するにあらざれば完全に機械をして運転せしめるを得ず。ここにおいて動力増加の必要を感ずるに至れり。この動力を得る最も良好機関は所謂吸入瓦斯機関これなり。若しこの機関に依らずして従来使用する電動力を増加せんか、その費用甚だ高価にして永久、之によりて動力を仰ぐは不利なるは勿論、日々の従業において不便多く従って仕事によりて動力を使用すること能わざるなり。今動力を増加せんとするに当りこの不便にして不利益なる電動によりて就業するよりも、動力供給簡易にして、且つ故障少なき最新式なる吸入瓦斯機関を設置して完全に機械を動かしめ、尚望外の利益ある自家電灯をも設置して、機械運転一部中止する場合、即ち夜間それに使用したる動力をもって、点灯する時は二倍の仕事をなさしむる利益あり、かく此設備を完成したる時は場外より供給せられたる電動力及び電灯の如くに故障多からず、若しこれありとするも復旧を容易ならしめ、従いて就業中に突発業務を中止し仕事の順序を乱雑ならしむるが如き恐れなし、その利便にして経済的なることの理由を記しその実行を期せんとす。

 [中略]
 吸入瓦斯機関設備の利益
 発電機設置の急務 本社の原料部に既設したる電気磁石装置に供給する電圧電流に対し方今はフーラー氏の電池36個を以て供給し其費用一カ月27円となる、斯く多大なる費用を投ずるも尚ほ磁石の完全なる動きを示すに至らず、何となれば此の電池内において常に分極作用を起すこと甚だしく故に毎週之を改むるも一時は充分の動きを示すと雖も直ちにこの作用に害せられ供与の電力を減少するに至る、この装置の充分なる利益を収むるは困難にして尚一層電池を増加すれば稍良しというに達するならんも其不経済なること火を見るより明かなり。この難事を避けるには、電池によらずして発電機の力を借らざれば、満足なる結果を奏し難し、?に於て発電機設置の必要を感ずるに至りたり。而してただ僅かに此の装置に供給する電力を起すのみにても、発電機を要するなれば、この際今一層之を拡張して自家用電灯を起さば又大なる利益あるを認めたり、この利益について説明なさんに次の如し。

 元来実行馬力として動力機関製造業者の発表するものも実際之を使用の暁は其の如く働くこと難し、如何ともなれば機関装置に当りて凡べて同一の効率を有する様に作りたりというも、到底事実上不可能と云うも誤れりというを得ず、今、購入するに当り、比較的完全なるものに遭遇するを得ば、之れ非常なる僥倖というべきなり。故に発表したる実行馬力の約85%以上の効率を現わすことを得るを以て完全に近きものとせざる可からず、此点においては例えば20馬力の機関にありては全体の馬力を使用するよりも、その範囲内なる15馬力乃至20馬力を使用するに止むる時は、機関破損の憂い少くその生命をして長くすることを得るなり、之により会社には願望する馬力よりも少しく余裕あるものを使用せんとするなり、しかして電磁石装置に使用目的と合せてこれらの動力を二様に働かしめ以て白熱電灯を設置し点灯経費の節約を図らんとするにあり。

 この目的に向って設置せんとする機械器具及び発電機の電力左の如し。

   設計点灯燭光     3千燭光
   発電機の電力     5.5キロワット(10.05馬力)

 配電盤、配電装置、配電板上の器具即ち測定用器具、分配用器具、調整用器具、保安用装置及び一切器具取付などその価格は発電機及び配電盤、配電器具一式及び取付費800円也合計3500円を要す。

 自今電気会社に支払する電灯料一カ月3円10銭也として1カ年1500円となる。設置せんとする電灯につき発電機の起動費用は前述の如き方法を以て供給するが故に全くその費用を要せざるものと見做し得、且つ設備全体の費用は電気会社に支払う1カ年の電燈料を以て優に支給するを得、これによりて電灯装置は機関設置より得たる純然たる利益なり要するに是等を以て会社製造費の大部を占むる原料製造は完全にその生産力を発揚する利益を与えしむると同時に細密なる成形装飾をなす工場の部分に於ては経費の考慮少なくより以上の電燭のもとに就業するを得其裨益や大なりと云うべし。

煙突2基竣工
 設備は水車動力のほか、7月に電動機使用工場設備及び増築願いを行ない一方工事は煙突2基、素焼窯2基、仕上窯1基の構築、水車の改造等竣成し、残余設備も今後1カ月以内に竣工の見込となった。

明治42年(1909)

第3期利益出る
 第3期(42.1〜6月)は従来の拡張工事も漸次完了し、絵付窯場ならびに釉薬窯の機構等も期末に竣工するなど、生産能力も拡大し、毎月画期的製造数を出し初めて黒字決算となった。

 上半期製品製造高

 1月 43885  2月 52423  3月 72791  4月 71092
 5月 86162  6月 98141            計 424494

 第3期収支決算(42.6)
  [収入]          36155円(売上高)
                 7491円(工場勘定)
                  458円(雑収入)
                44097円(合計)
  [支出]          10742円(営業費)
                30198円(製造費)
       主な内訳      2428円 給料
                 9588円 賃金
                 7293円 原料
                 8555円 燃料
       当期利益金     3156円
       前期繰越損金    1875円
       差引        1281円 後期繰越

第4期初配 林屋氏去る
 第4期(42.7〜12)中7月東京に出張所を開設し、取締役萩原芳明氏にその監督を委嘱した。また斯界の功労者林屋次三郎氏は新会社設立目的も達したと考えたか8月役員を辞任した。なお同氏とならびに林屋新兵衛両氏と会社との間に期間1カ年の契約で本社製品の特約販売を許すことになった。

東宮殿下台臨
 東宮殿下(大正天皇)には北陸路を行啓されるに当り、9月25日当工場へ台臨せられたので宮野社長、原専務は翌26日お礼言上のため、ご旅館成巽閣へ伺候し左の献上品を行った。

  白菊桐浮模様白地金縁     肉皿一打
  同 菓子皿          〃
  パン皿            〃
  スープ皿           〃
  コーヒー碗          一組
  工場写真

 期中英国製自動ロクロ2台を購入し、生産設備は整備充実せられるにもかかわらず、工員の未経験のため若干能率は悪くなっている、しかし逐次成績を上げ、8、10、12月の3カ月は各12万個の記録数を出しており、軍隊用食器の需要倍増が売上高の大半を占めている。また日本食器の需要も増加し韓国、台湾よりも陸続注文を受けているので売り上げ高は4万4千円を記録8580円の利益をあげたので、創立以来始めての年6分配となった。

  [収入]         44193円(売上高)
               36893円(在庫及び半製品)
               81090円 合計
  [支出]         16246円(営業費)
               37957円(製造費)
               72435円(合計)
      利益        8584円
      前期繰越      1281円
      合計        9865円
      配当  年6分  (6000円)
      後期繰越     ( 515円)

 天長節記念のお菓子
 42.11.3.明治天皇天長節 社長以下全員参集し御真影を拝し順次退散した。当日酒肴料に一人当り金25銭及び紅白菊花の菓子を出した(石川屋製)3銭あて2個箱代1銭計7銭

明治43年(1910)

第5期も好調
 この期(43.1〜6)の製造数量は、83万9千個、前期より12万個を増加し、売り上げも573百円をあげて、創業以来の記録となる。従って利益も11千円を計上し、配当6分を据置いた、なお前期する25馬力吸入式瓦斯発動機が据付られ、石版印刷部は6月上旬完備し、製品の絵付に使用することになった。

  [収入]         57340円(売上高)
               54407円(製品在高その他)
              111747円(合計)
  [支出]         22080円(営業費)
               42182円(製造費)
               36160円(前期末在庫)
              100432円(合計)
  [差引]         11314円(利益金)
                 515円(前期繰越)
               11830円( 計 )
                6000円(配当金年6分)
                 126円(後期繰越金)

第6期7分配当 工場全点灯なる
 当期(43.7〜12)中、絵付がま数基を増設、乾燥室用蒸気機関を設置ならびに排鉄マグネットと自営電灯用発電機の据付終り、工場内の殆んど全部点灯さる。工場内の整頓、工員技術の進歩で96万8600個を生産、前期比13万個近い増加をみ、9602円の純益を上げ7分に増配した。しかし8月関東、東北地方に大水害あり、商況も不振となった。因みに従業員は男子268名、女子59名計327名である。

  [収入]         64429円(売上高)
               71511円(製品在高その他)
              135940円(合計)
  [支出]         25883円(営業費)
               46340円(製造費)
               54114円(前期製品在高等)
              126317円( 計 )
  [差引]          9602円(利益金)
                 126円(前期繰越)
                9728円( 計 )
                7000円(配当金年7分)
                 268円(後期繰越金)

明治44年(1911)

第7期第2回株金払込
 (44.1〜6)期は、6月に1株に付7円50銭の割で払込みを行ない、資本金80万円に対し、未払込は48万円、能美郡久常村荒屋に、原石粉砕水車工場竣成し、更に絵付部及び印刷部を拡張し、絵付品の増産に努め、大型物の製作にも着手し、水洗器や洗面器、便器等の生産も始める。生産数は95万9500個と横這い、清国、東南亜向けに輸出増加傾向あり、売り上げ71千円と創立来の記録である。

  [収入]         71306円(売上高)
               86347円(在庫その他)
              157653円(合計)
  [支出]         26066円(営業品)
               49359円(製造費)
               70075円(その他)
              146500円( 計 )
  [差引]         11153円(利益)
                 269円(前期繰越)
               11422円( 計 )
                7000円(配当金年7分)
                 298円(後期繰越)

第8期清国革命で影響
 (44.7〜12)第2回全国窯業品共進会で、金賞を、全国食料品共進会で金賞を、全国食料品共進会では、名誉大賞牌を受けた。なお給付品増加に伴なう内径3メートルの絵付がまが完成した。また農商務省貸下による磁電分離器など据付を了し、壁瓦敷瓦等の製造に着手した、期中生産100万個を超え、新記録となったが、清国動乱の影響で売れ行きの減退は手痛く配当も遂に5分と2分減配す。

  [収入]         60162円(売上高)
              114256円(在庫その他)
              174458円( 計 )
  [支出]         26391円(営業費)
               52165円(製造費)
               86067円(前期末製品在高その他)
              164623円( 計 )
  [差引]          9836円(利益金)
                 298円(前期繰越)
               10134円( 計 )
                8000円(配当金年5分)

明治45年(1912)

宮野社長辞任 第9期は欠損
 当期(45.1〜6)は期中4メートルの焼成窯2基改築を終了し、工員も増して専ら絵付品に意を用うる一方、タイルの製造も研究の結果着々進歩し、製造個数も101万9千個と百万大台を続けた。しかし清国動乱や内地における米価の昂騰が売行にも影響し、折角の生産増大も徒らに在庫増となるだけでお金にならずそろそろ会計金ぐりも苦しくなって来ている。

  [収入]         65050円(売上高)
               79440円(製品在高)
               31191円(その他在高)
              175681円( 計 )
  [支出]         23746円(営業費)
               55898円(製造費)
               82946円(前期製品在高)
               30933円(同半製品)
              193525円( 計 )
  [差引]         17843円(差引損失)
                7209円(後期繰越損金)

 こんな悪い決算の出てくる期末の6月1日に宮野社長が突如辞表を提出し姿をかくした。何か氏をめぐり黒い噂が流れたのは如何ともし難く、また会社経営上からいっても社長がこのままの在任は難しい、期末18000円の赤字を出しているが、在庫も多く金融上非常に苦んでいる時期でもあった。なお創設者の一人林屋氏も手持株を全部手離し、吉村、友田両氏も株式を他へ譲っている。そして前田候が株を代って持つようになり、林屋組関係は第一線から退いた感じであるが林屋次三郎、新兵衛両氏と会社との間に1年間の販売上の特別契約をしている、期末大株主左の如し

(期末大株主)3100株(前田利為候)1000株(早川千吉郎)800株(横山隆俊)500株(横山章)

 当時の従業員慰安会風景
 当時従業員慰安会の模様が記されてある。明治45年5月15日である。
 春季職工慰安会を高岡町下薮の内松登美楼に於て開催。
 午前10時過より余興、万歳、蓄音機、職工義太夫、浪花節数番口演し午後2時酒肴を出し又々数番の余興あり午後4時過無事散会、出席320名

(附)林屋組外二名買収仮契約書(表紙)

 仮契約書

 日本硬質陶器株式会社設立ノ上ハ同会社ニ於テ合名会社林屋組ノ器具機械及営業一切並ニ宮野直道所有ノ土地建物、林屋次三郎所有ノ土地ヲ買収シ硬質陶器ノ製造及販売ヲ為サントスルニ付日本硬質陶器株式会社発起人ト合名会社林屋組宮野直道及林屋次三郎トノ間ニ左ノ契約ヲ締結ス

 第一条 日本硬質陶器株式会社設立登記ヲ了シタル日ニ於テ合名会社林屋組ハ解散ノ上別紙目録ノ器具機械及ビ営業一切宮野直道、林屋次三郎ハ各別紙目録ノ土地建物ヲ日本硬質陶器株式会社ニ譲渡スルモノトス

 第二条 日本硬質陶器株式会社ハ前条ノ対償トシテ金壱拾参万円ヲ合名会社林屋組ニ支払フモノトス但合名会社林屋組宮野直道、林屋次三郎ノ各得分ノ分割ニ就テハ日本硬質陶器株式会社之ヲ関知セス
 前項対償ノ内金一万三千円ハ内渡トテ本契約締結ノ日ニ於テ之ヲ支払ヒ、残額金十一万七千円ハ第一条ノ土地建物器具機械営業一切譲渡ノ日ニ於テ之ヲ支払フモノトス

 第三条 合名会社林屋組ハ別冊明治四十年八月二十三日附公正証書第五千四百八十号宮市合名会社ト合名会社林屋組トノ間ニ締結セル硬質陶器宮市一手販売権回収契約ニ基キ一手販売権ヲ回収シ第一条ノ物件譲渡ト同時ニ日本硬質陶器株式会社ニ移付スヘク日本硬質陶器株式会社ハ別条第二項ノ残額仕払ト同時ニ公正証書第二条ノ報酬金一万六千七百五十円ヲ合名会社林屋組ニ支払フモノトス

 第四条 本契約締結以後合名会社林屋組ニ於テ業務上ノ必要ニ依リ別紙目録以外ニ増加シタル器具機械アルトキハ該器具機械ハ第一条ノ物件ト同時ニ合名会社林屋組ヨリ日本硬質陶器株式会社ニ譲渡スヘク其代価ハ双方ノ協議ヲ以テ之ヲ定メ日本硬質陶器株式会社ヨリ合名会社林屋組ニ支払フモノトス

 第五条 合名会社林屋組宮野直道及林屋次三郎ハ第一条ノ物件ハ本契約締結当時ノ状態又前条ノ物件ハ購入当時ニ於ケル完全ナル状態ヲ以テ之ヲ日本硬質陶器株式会社ニ引渡スヘク使用其他ニ依リ滅失毀損シタルモノハ補充若クハ修繕ノ上之ヲ引渡スモノトス但天災ニ因ル滅失毀損ハ此限リニアラス

 第六条 合名会社林屋組ハ日本硬質陶器株式会社ニ於テ其業務ヲ開始スルニ差支ナキ程度ノ諸材料職工其他営業上諸般ノ必要品ヲ準備シ第一条ノ物件引渡ト同時ニ之ヲ日本硬質陶器株式会社ト引継クモノトス

 第七条 第一条ノ営業引渡当時ニ於テ合名会社林屋組ニ現存スル成製品未製品及前条ノ諸材料其他準備ノ代価ハ相互協定ノ上日本硬質陶器株式会社ヨリ合名会社林屋組ニ支払フモノトス

 第八条 合名会社林屋組宮野直道又ハ林屋次三郎ニ於テ第五条ノ義務ヲ怠リ滅失毀損ノ儘引渡シタルモノアルトキハ日本硬質陶器株式会社ニ於テ之ヲ補充若クハ修繕シ其費用ハ合名会社林屋組宮野直道又ハ林屋次三郎ニ於いて各之ヲ負担スルモノトス

 第九条 合名会社林屋組ニ於テ第六条ノ準備ヲ怠リタル為メ日本硬質陶器株式会社ニ於テ営業開始ヲ遅延スルノ已ムヲ得サルニ立至リタルトキハ合名会社林屋組ハ其期間一日金二百円ノ割合ヲ以テ賠償金ヲ日本硬質陶器株式会社ニ支払フモノトス

 第十条 第一条ノ物件ニ課セラレタル租税ハ賦課ノ期間ニ依ラス納期ノ引渡前ニ属スルモノハ合名会社林屋組宮野直道又ハ林屋次三郎ニ於テ各之ヲ負担シ其引渡後ニ属スルモノハ日本硬質陶器株式会社ニ於テ之ヲ負担スルモノトス

 第十一条 合名会社林屋組又ハ同社員タリシ者ハ第一条ノ物件及営業ヲ日本硬質陶器株式会社ニ引渡シタル上ハ左ノ各項ヲ恪守スヘキモノトス

  一、硬質陶器製造ノ方法ヲ一切日本硬質陶器株式会社ニ提供スルコト
  一、何等ノ名義ヲ以テスルモ爾後同一ノ営業ヲ為ササルコト
  一、硬質陶器ノ製造方法ヲ他人ニ伝授シ若クハ他ノ雇聘ニ応シテ硬質陶器ノ製造ヲナササルコト

第十二条 日本硬質陶器株式会社創立総会ニ於テ本契約承認セサルモ日本硬質陶器株式会社発起人ハ合名会社林屋組宮野直道及林屋次三郎ニ対シ何等ノ責任ヲ負ハサルモノトス

第十三条 本契約ハ明治四十一年十二月三十一日迄ニ日本硬質陶器株式会社成立セサルトキハ其効ヲ生セサルモノトス

第十四条 前二条ニ依リ本契約ノ失効ニ帰シタル場合ニ於テ合名会社林屋組ハ第二条第二項ニ依リ受取リタル内渡金一万三千円ヲ失効ノ日ヨリ一週間内ニ日本硬質陶器株式会社発起人ニ返還スヘキモノトス

第十五条 本契約ノ履行ニ関シ合名会社林屋組宮野直道及林屋次三郎ハ連帯シテ其責ニ任スルモノトス

第十六条 本契約書ハ四通ヲ作成シ日本硬質陶器株式会社発起人合名会社林屋組宮野直道林屋次三郎ニ於テ各一通ヲ領置スルモノトス

  明治四拾壱年四月六日

            東京市京橋区南鍋町二丁目五番地
                    日本硬質陶器株式会社
                    発起人総代
                    創立委員長  男爵  本多政以(印)
            金沢市長町河岸五十二番地
                合名会社  林屋組
                  代表社員  林屋次三郎
                金沢市茨木町五十八番地
                        宮 野 直 道 (印)
                金沢市長町河岸五十二番地
                        林 屋 次三郎 (印)

目録

金沢市長町河岸五十二番       同所々在
一、市街宅地千八百弐拾弐坪九合   一、木造瓦葺二階建倉庫 一棟
 右同番地ニアル             建坪一八坪
一、木造瓦葺二階建 一棟         外二階一七坪
   建坪八一二坪一勺       能美郡国府村鍋谷地内
   外二階五八二坪五合八勺        (15町歩)
 同上附属             目録機械(省略)
一、木造瓦葺平家 一棟
   建坪二坪二合五勺

[第2編]了


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